小説「東京起業ストーリー」

第10話(最終話):物語は続く

淡い光を放ちながら、フェアッキーの仮面に放射状にひびが走っていく。彼女がどうして仮面をつけているのか、その下の素顔はどうなっているのか、沙奈にとってそれは出会った頃に抱いていた疑問で、今は全く忘れていた。それが唐突に解決する時が来たのだ。
パリン! とグラスが割れるような音がして、仮面は砕け散る。飛び散った破片はそのまま光となり、下のテーブルまで落ちずに消えていった。初めて見る、フェアッキーの素顔。沙奈とフェアッキーは静かに見つめあう。
「沙奈、私、誰かに似てない?」
少しきつめの目に、細いまゆ。高くはないが筋の通った鼻に、ちょっと厚めの唇……、それはまるで、
「……私?」
「そう、私はあなた。けど全くのあなたってわけじゃないわ。私はあなたの迷いや悩みを感じ取り、それを代弁してたの」
フェアッキーが、私の……。沙奈は混乱する。けど、それじゃあ、
「私を励ましてくれたり、料理をつくってくれたのも?」
「あら、それは私の意思よ。いつも代弁してた訳じゃない。けど、さっきのやり取りは、どういうことか分かるわね?」
沙奈は頷く。
「おめでとう、沙奈。君は自分に打ち勝ったんだよ。もうこれで大丈夫だ」
大丈夫、大丈夫か。スザッキーは今そう言った。その言葉は自分もよく使う。しかし一体何が本当に大丈夫なのか。沙奈の心はまた不安になる。
「そんな、ちょっと……。行っちゃうの? あなた達って、何なの?」
スザッキーも浮き上がり、最初の時と同じようにくるりと一回転し、
「僕らはコンサルティング妖精。迷いながらも一生懸命努力している人たちを、結果を出すまで導いていく妖精さ」
「そしてその人の本心と向き合わせ、決断させる……。もうあなたは大丈夫、迷わないわ」
またその言葉だ。沙奈はもううんざりだった。
「大丈夫って、何が? 二人とも勝手よ! 私は二人のお蔭でここまで来れたのよ? これからどうしたらいいの、一人じゃ分かんない!」
本音はそうではなかった、ただただ寂しかったのだ。また一人になるのが怖かった。しかし沙奈はとっさの事でそこまで気が付かない。
「沙奈、それは違うよ。僕らはただ君の背中を少し押しただけ。全部君が一人でやったんだ。新しいプログラムも、クライアントに信頼されることも」
「待って、急だわ。せめてあと一週間、いえ、三日でいいからいてくれない? 私は二人に何も出来てないし」
「そんなことない、僕等はいつも楽しかったよ」
「そうよ~、本当にあっという間だったわ~」
フェアッキーの口調が戻っている。別れの時が近いことが分かる。嫌だ、このままなんて嫌だ。
「スザッキー、明日国技館に行きましょ。フェアッキーも、今やってるあの映画見たいって言ったじゃない。行きましょうよ」
「……別れがつらくなるだけだよ、沙奈」
スザッキーはまるで駄々をこねる子どもをたしなめるように、優しく言った。
沙奈にはとても、今すぐ別れの言葉を選ぶことはできなかった。しかし二人の体はさっきの仮面のように、徐々に光に包まれ始める。同時に涙で視界がゆがむ。
「沙奈、忘れないで。君は自分の力でやったんだよ!」
「体に気を付けてね~、頑張りすぎちゃ駄目よ~!」
沙奈は前のめりになり、二人に手を伸ばそうとした。しかし手は止まる。目の前で、二人の姿が淡くなっていく。お別れなんだ、これで。
「あ……、ありがとう! 二人とも、ありがとう!」
光の中で二人が笑う。
「突然でごめんね! でも凄く楽しかった! 沙奈、君はもっともっと輝けるから!」
「沙奈~、ありがとう! 私たちを好きになってくれて、本当にありがとう!」
二人も泣いていたのかもしれない。しかし光は強くなり、その表情はもはや分からない。
ありがとう、ありがとうと三人は言い合い、やがてシュッ! と光は消えた。
「……本当に」
沙奈はまた自分が泣いていたことに気が付いた。力が抜け、さっきまで二人の居た空間を見つめ続ける。今度の涙はすぐには止まらないだろう。
夕日は既に落ち、部屋の中にはいつもの夜がやってきていた。

カードキーをかざさないと入れない会議室。高層ビルの二十六階の一室。いつもより化粧も厚く、服装もかしこまった沙奈が座っている。テーブルをはさみ、その前にはややラフな格好の女性、隣には男性のカメラマンだ。たった三人にこの大きさの部屋は、寒々しいほどに広い。机の上に置かれたICレコーダーが音も無く、録音中を知らせるランプを灯している。
普段の個別セッションとは違い、今日の主役は沙奈だ。経済情報誌の特集記事、個人起業家にスポットを当てるコーナーで、沙奈がゲストに選ばれたのだ。
「本当に素晴らしいご活躍ぶりです、風見沙奈さん。これまでにコンサルタントとして、多数の個人起業家の方々を成功に導いておられますね」
「あの、違うんです。私はコンサルタントではなくて、個人のマナー講師です」
インタビュアーは少し驚いて沙奈を見る。
「ですがお仕事の内容としましては、クライアントの方々の業務上の問題点を指摘し、改善させ、業績をアップさせると……」
「ええ、確かにそうなんですが、私は経営上の適切なアドバイスが出来る訳ではありません。過去の経験を活かし、主にコミュニュケーション能力を伸ばすお手伝いをさせていただいていて、その結果、ということだけでして……」
「そんなにご謙遜なさらないでください。そもそもマナー講師だったあなたが、このような業務を行おうと思ったきっかけは?」
その質問に沙奈の表情は和らぐ。沙奈には忘れられない二人の友人がいるのだ。
「偶然できた友人なんですが、私が本当は何をやりたいのかを聞いてくれて、それならこんなことをしてみたら、ってアドバイスをくれたんです。その内容から宣伝方法まで。それからもう一人の友人も、不安な私を料理や笑顔で、いつも励ましてくれました。私がもしコンサルタント業を行っていると思われているのなら、それは二人のまねをしているからだけです。彼らこそ、本当のコンサルタントです」
今の表情は使える、と判断されたのだろう。二、三度バシャバシャとシャッターが切られる。
「それは素晴らしいご友人をお持ちですね。それでは具体的に、個人起業家向けのプログラムの内容を教えていただけますか?」
沙奈は出来るだけ丁寧に、最初の面談から説明を始める。

ガラス張りになったその二十六階の窓の向こうに、小さな影が二つ並んでいた。通常であればビル風に吹き飛ばされるところだが、その影たちは微動だにしない。
「ううっ、立派になったね~沙奈! 僕は嬉しいよ」
「私たちの事を友人ですって~。照れるわ~」
スザッキーとフェアッキーが、中の様子を嬉しそうに眺めている。
「でも沙奈だけに限らず、自分で考えて努力し続けてる人って凄いよね。迷いながらも進み続けて、成功するまで決してあきらめない」
「本当ね~。ほんの少しのきっかけ、アドバイスで、みるみる変わっていくもの。そう言う人は元々十分な資質や能力を持っていて、活かし方が分からなかっただけなのよね~」
「ねえフェアッキー、この後久しぶりに沙奈の部屋に行ってみない?」
「駄目よ~? 今は私たち、別の人についてるじゃない~」
「ちぇっ。フェアッキーってそういうところドライだよね」
「べ、別に私だって、沙奈の事はずっと好きだけど~」
スザッキーはその言葉を聞いて、にっと笑う。

沙奈はインタビュアーの質問に答えながら、段々と緊張がほどけ、充実感に包まれていっているのが分かった。これでまた、新しい人々と出会える機会が増える。この広い都心に、私が幸せに出来る人が増えるんだ。今度前の会社のチームの皆と飲み会がある、そこに加藤部長も誘おう。皆でいろんな話をしたい。思い出話や、このインタビューの事、そんなとりとめのないことを……。
休憩を告げられ、飲み物を聞かれる。沙奈は梅こぶ茶を希望したが、それは用意できなかった。代わりに頼んだ紅茶を待つ間、窓の方に視線をやり、晴れ渡った空の下に広がるオフィス街を見渡す。すると、
「!」
沙奈は突然立ち上がり、窓に向かって走り出した。

その様子を見てフェアッキーは驚く。
「ち、ちょっと~! 沙奈がこっちに来るわよ?」
「さぁ、何でだろうね」
「あ! スザッキー、あなた姿消しの魔法を解いたわね?」
「あれ、あっ! うっかりしてた!」
フェアッキーはあきれて頭を抱える。そうしている間に沙奈は窓に張り付き、二人に満面の笑みを送る。
「……沙奈、久しぶり~。後から行くわね~」
そう言ってフェアッキーは手を振る。スザッキーも手を振り、二人は高く高く空へ舞い上がる。
「さぁ、沙奈の部屋に行った後、今度はあなたの所へ行くよ! 上手く行くか不安だって?大丈夫、必ず結果にコミット出来るから。一緒に素晴らしい成功へ、向かっていこう!」
「? 誰に言ってるの、スザッキー?」
「ははっ、こっちの話さ!」

END

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