小説「東京起業ストーリー」

第6話:結果にコミットする!

妖精の歌、というものがあるのだろう。沙奈はスザッキー、フェアッキーと暮らすうちにそのことに気が付いた。本人は意識していないのだろうが、例えばフェアッキーが部屋にハタキをかけているとき、優雅な鼻歌が聴こえてくることがあるのだ。それは耳の奥をくすぐり、沙奈をなんとも心地よい気持ちにさせた。もちろん沙奈はそのことを指摘するつもりはない。この時間が続いてほしいと思っているからだ。自然に口ずさまれる軽やかなメロディーに心を預けていると、沙奈は満ち足りた気持ちになる。幼いころ、母に抱かれて聞かされたであろう子守歌を聞いている、そんな瞬間だった。それからしばらくして、今度は実際にスザッキーの鼻歌が聞こえてくる。フェアッキーのものとは違う、アップテンポな鼻歌だ。元気な印象なのもいかにも彼らしい、と沙奈は微笑む。目を閉じ、耳を澄ませ、そのメロディーに耳を傾ける。

フンフフフフフフ、フンフン、フンフフフフフフ、フンフン……。

「いや笑点のテーマだこれ!」
沙奈は自分でも驚くぐらいの声量で突っ込んでいた。

時刻は夜の十二時を回った。相変わらず沙奈はモニターを眺めている。
「沙奈~、もう休んだら~?」
「う~ん、そうしたいんだけど……」
沙奈は伸びをしながら答える。
「ん? もうほとんどプログラムは出来てるじゃない。何を悩んでるの?」
「う~ん……、これって、いくらの講座にすればいいんだろう。というか、どの段階で報酬を受け取ればいいの?」
沙奈の疑問はもっともだった。これまで沙奈は講座の内容に応じ、人数と時間で報酬を決めていたのだ。それは時給制で働くアルバイトのような公平さがあった。しかし今度のプログラムは、時間で区切ることが難しい。クライアントの状況に応じていくらでも変わってくるからだ。
「なんだ、そんな事」
スザッキーはコンビニへの道順を説明するみたいに、簡単に言った。
「そんなの、与える価値によって金額を変えればいい」
「与える価値?」
「そうだよ、実際に沙奈のプログラムによってクライアントに利益が出ることが、沙奈の与える価値だよ。例えば沙奈のプログラムに従って百万円の利益が出たら、その内三十万円を受け取る」
百万円で、三十万……。突然出てきた数字は具体的で、沙奈にとって魅力的だった。
「それって、利益が出なかったらどうするの?」
「実際に利益が出るまでサポートし続ける、つまり、結果にコミットするんだ」
そこまで聞いて、沙奈は合点がいった。
「ああ、成程! それならクライアントも結果が出た後だから支払いやすいし、こっちも受け取りやすいわ。とってもフェアなやり方ね」
沙奈は想像してみる。自分のプログラムで売り上げが伸びて、感謝しながら私に報酬を支払うクライアントの姿を。それは感謝状を受け取ったり、お礼を直接言われることよりもずっと充実感のある事だろう。
「……ねえ沙奈、そんなに簡単に決めていいの?」
「えっ?」
フェアッキーが心配そうに沙奈を見上げている。
「もし、結果が出なかったらどうするの?」
「あ……」
確かに結果が出るまで、半年や一年、いや、もっとかかる場合もあるかもしれない。そこまでかかって失敗したら? 沙奈はとたんに不安になる。
「……相談に来た人全員に、利益を出すことができるかしら」
沙奈はつぶやくように言った。自分の知識には限界がある。いや、どんな依頼も調べること無しにこなすのは不可能だろう。調べて、悩んで、考えて……。それでも無理な状況は、きっとある。その時はクライアントに何と説明すればよいのだろう。私の生活は? 沙奈は一気に不安な気持ちになった。
「沙奈、その心配は分かるよ。だからそこは諦めよう」
「そ、そうね、そこは諦めて……、って、え?」
スザッキーがさっきまでの口調を変えずにサラッと言ったので、沙奈は聞き流すところだった。もちろんフェアッキーも驚いている。
「あ、諦めようってあんた……、今それを言うの!?」
沙奈がそう思うより早く、スザッキーに飛びかかろうとするフェアッキー。スザッキーは両手を振って、慌てて付け加える。
「待って待って! どんな業種の業績も上げるなんて無理に決まってる。それが出来るのはきっと神様だけさ。そして沙奈は神様じゃない」
「そりゃ、そうよね」
当たり前だった。どんな敏腕経営者でも、伝説的なCEOでも、あらゆる分野の業績をアドバイスだけで伸ばすことは不可能だ。彼らにも得手不得手がある。
「だから自分に自信のある分野や、話すのが得意なタイプの人だけを選ぶのさ。逆に難しいと感じた場合はしっかり断るんだ」
断る、という選択肢が全くなかった沙奈は驚く。
「いや……、でもそれって、ありなの?」
スザッキーは胸を張り、また自信満々に語りだす。
「もっちろん、ありだよ! クライアントを募集する前に、結果を出す自信のない業種や分野、人のタイプを絞ってきちんと提示する。できないことを最初にはっきり言う事で、自分を偽らず、信用にも繋げられるんだよ」
沙奈は不安がだんだん収まっていくのを感じていた。無理なものは無理、か。確かにその通りだ。逆にどんな業績も私にかかればアップします! なんて言う人は詐欺だと疑われても仕方がないだろう、と思う。
「それに、自分が対応できると思ったクライアントには保証条件をつけるんだ。結果を保証する代わりに、クライアントに必ず守ってもらう条件だね。この方法なら確実に結果を出せる状況になるから、大丈夫さ!」
保証条件、その考え方も沙奈には無かった。スザッキーはちゃんとそういうことまで考えていたのだ。それじゃ、そこからは私とクライアントの二人三脚ね。最初に結果の出せる相手を選んで、結果にコミットするために一緒に努力して、こちらの提示したことは守ってもらって……。うん、なんだか大丈夫そう! 沙奈の口角がわずかに上がる。
「それでも私、心配だわ。沙奈がもし……」
フェアッキーが少し震えた声で沙奈を見る。フェアッキーが心配していることは、沙奈にも十分に感じられた。愛しさを感じ、自然とフェアッキーの頭の上に手が伸びる。
「大丈夫よ、フェアッキー。心配しないで。成功するって確証は無いけど、新しいことを始めるのっていつもそういうことだから。私は今度、そうやって頑張っている人たちと一緒に仕事をするのよ? 覚悟は出来てるわ」
「沙奈……」
「ねえスザッキー、私その方法でやってみる、いえ、やらせてほしいの」
スザッキーと沙奈の視線が合わさる。お互いに高揚感を抑え、うずうずしている気持ちがはっきりと感じ取れた。
「もちろんだよ、沙奈。僕に任せて!」
スザッキーは最初から、沙奈のスキルや能力を十分に見込んでいた。しかし沙奈の最大の魅力はこの気持ちの強さなのではないか、と思うようになっていた。僕達と出会ったことがもっと大きな奇跡になるように頑張ろう、と決意を固める。僕達、そう、僕とフェアッキーの……、あれ? スザッキーはそこまで考えた後、フェアッキーの上で動き続ける沙奈の手のひらに少し疑問を持った。
「あの……、ところでさ。いつまでフェアッキーの頭、撫でてるの?」
「え?」
沙奈の手は何度も優しく往復し、止まろうとしない。フェアッキーも安心しきった笑みを浮かべている。
「別に……、いつもこうよ?」
沙奈はねぇ? とでも言いたげな視線を投げる。フェアッキーも軽く頷く。
「うぃい!? いつも? 僕だっていつもさっきみたいにアドバイスしてるじゃない! 僕もナデナデしてほしいよぉお~!」
「ちょ、ええっ!? そんな……」
微妙な沈黙が訪れた後、沙奈はしぶしぶ、といった感じに空いた左手を伸ばし、スザッキーの頭も撫で始める。
「こ、これでいい?」
「う、うん……」
スザッキーはまさか、自分もしてもらえるとは思っていなかった。想像していたよりも気持ちよく、何より恥ずかしい。
「はい、終わり」
沙奈はパッと手を放す。
「ちょ、短いよ!」
「なんか照れてるのが分かって嫌なのよ!」
図星を突かれ、スザッキーは赤くなる。伏し目がちに沙奈を見ると笑っていた。なんか、うん、これでいいね。スザッキーははにかんだ。