第2話:集客が第1……じゃない!?
沙奈はクッションの上に正座をし、目の前のテーブルの上に立った二人の妖精、スザッキーとフェアッキーを見下ろしている。何度も同じ説明を繰り返され、沙奈にも会話するぐらいの落ち着きは戻ってきていた。
「……つまりあなた達は、私の仕事の手伝いに来た、ということね」
スザッキーはうんうん、と笑顔で頷いている。沙奈は最初、男の子の妖精だと思っていた。しかしよく見ると、顔はなんだが子どもっぽくはなかった。大人の顔をした妖精だ。口調も何だか自信たっぷりで、沙奈よりも年上のような風格さえある。
「よかったわ~、沙奈が落ち着いてくれて~」
優しい声の女の子の妖精、フェアッキー。語尾を伸ばすのが癖なのか、しかしそれが穏やかな声質と実にマッチしている。聞いていると自然と眠りを誘うような声だ。彼女は目の周りを覆うような仮面をつけており、表情は正確には読み取れない。そのまま絵本のお城の舞踏会にでも行ってしまいそうな雰囲気だった。
「さて、と」
沙奈はそう言って姿勢を正し、右手を上げる。そしておもむろに自分の右頬をパチン、パチンと叩き出した。
「何やってるの沙奈!」
スザッキーが慌てて止めるが、沙奈は尚もその動きを止めはしない。
「おかしい、全然痛いわ。これ夢じゃないのね」
「あらあら~、全然信用されてないわね~」
フェアッキーが苦笑いを浮かべる。夢かどうかを確認するのに、最も古典的な方法を試した沙奈は次に、傍らに置いていたスマホを操作する。
「え~と、駅前の心療内科の営業時間は……」
ブラウザで検索をかけ、そこのホームページを探す。その病院へ行ったことはないが、会社員の頃は出勤途中によくそこの看板が目に入っていた。幻覚が見えるんです、といきなり言い出す患者が来たら、いくら心療内科の先生といえどもいささか驚くだろう。
「僕らは夢でも幻でもないよ! こうして会話してるし、ちゃんと沙奈にも触れるよ?」
そう言って沙奈の右手に近づき、そっと自分の手のひらを当てるスザッキー。沙奈はほのかなぬくもりを感じ、慌てて手を引っ込める。
これは……、ひょっとして現実か。しかしこの二人と、どう接すればいいのだろう。一人の人間と二人の妖精の間に、気まずい沈黙が流れる。
「あ、そうだわ~。もうこんな時間だし、沙奈もお腹減ったんじゃない? ちょっと台所借りてもいい?」
その優しい申し出に、沙奈のテンションは少し上がる。
「え、いいの?」
「うん~。簡単につまめるものをね。冷蔵庫の中身勝手に使っちゃうけど、いい~?」
「嘘、全然いいよ! うわ~凄い助かる!」
「うふふ、よかったわ~」
そう言うとフェアッキーはふよふよ翼をはためかせ、ダイニングキッチンへと姿を消した。沙奈は社会人になってからずっと一人暮らしだ。盆や正月は実家に帰省するが、店を除いて他人の手料理を口にする機会は殆ど無い。
「フェアッキーって、天使か何かなの?」
「ううん、妖精だよ」
「そうなんだ……。凄いのね、妖精って」
そう言って沙奈は、自分が初めて彼らと自然な会話を交わしたことに驚いていた。台所を任せてしまって大丈夫だっただろうか、いや、根拠はないけどフェアッキーなら大丈夫。なぜかそう確信できた。
「ちなみに僕らは食事しなくても平気さ! 妖精は人間の夢や希望が何よりのエネルギーだからね!」
「うん、それは全然心配してない」
スザッキーはガクッとなる。それを見て沙奈は、もしかすると案外こういう事もあるんじゃないか、妖精って昔から語り継がれてきたものだし、と楽観的な気持ちがわいてきた。
「あ、まずい、もうこんな時間」
そう言うと沙奈は立ち上がり、部屋の隅の机に移動する。椅子に腰かけ、足元のパソコンの本体に電源を入れ、続いて目の前のモニターの電源も入れる。このスペースには沙奈の仕事のほとんどが詰まっている。ベッドとテーブルと仕事机、これで沙奈の八畳の部屋は占められていた。
壁の一面はクローゼットと本棚、隣の部屋は同じ広さのダイニングキッチンで、ほとんど使っていない来客用のソファーとテーブルがある。その先に玄関とシューズボックス、トイレとバスルーム、独立洗面台が広がっている。
沙奈は素早くブラウザを立ち上げ、アメブロの更新画面を開く。今回は何を書こうか、仕事が無くなったことを正直に……、いやいや、それじゃあマイナスか。そんな風に思慮を巡らせていると、スザッキーが画面をのぞき込んできた。
「アメブロの更新?」
一瞬で状況を把握したスザッキーに驚きつつ、沙奈は説明を始める。
「ええ、そうよ。私は今会社を辞めてフリーのマナー講師をやってるんだけど、フェイスブックを一日一回、アメブロを一日三回は更新するようにしてるの」
「ふ~ん、それって結構大変だね」
「そうなの、書くことも無くなっちゃうし。でも『いいね!』されると返したりしなきゃいけないしね」
スザッキーは次にパソコンの後ろに並んでいるビジネス書を眺め出した。
「そのあたりの本、起業するときに参考にしたの。今でも時々読むわ」
「なるほどね~」
スザッキーはそっけない言葉とは裏腹に、興味深そうにそれらを眺めていた。
結局いつものように更新を近所の風景写真でごまかした沙奈は、スザッキーと一緒にぼんやりと他人のブログを眺めている。
「うわ、これ凄いね。地中海?」
画面には真っ青な空の下、透明な地中海が広がっている。
「そう、この人は企業家でね。私と歳はあんまり変わんないんだけど、凄いわね~。地中海でバカンス、かぁ」
沙奈はしかし、それほど羨ましいとも思わなかった。
「ねえ沙奈、沙奈の今の仕事で、希望年収とかってある?」
急に浴びせられた質問にドキッとする。
「何、急に?」
「だって沙奈も成功したいんでしょ?」
そんな直球な質問をされたのは初めてだった。遠い世界の美しい海の写真を眺めながら、沙奈はつぶやく。
「……無いわね」
「無いの!?」
驚くスザッキーを横目で見ながら、沙奈は続ける。
「この生活が維持できて、ちょっと貯金が出来れば最高よ」
「お金を稼ぎたくなくて、どうして沙奈は独立したの?」
沙奈は慌てだす小さな妖精の姿が面白く、プッと噴き出す。
「私ね、前の会社に十年いて、あれ、ちょっと違うかな~って思うことが多くなったの。
ただ黙々と会社の指示で講座を続けるんじゃなくて、私の思うやり方で、一人一人にあったアドバイスを贈れたら、もっといろんな人を幸せに出来るんじゃないかなって」
それを聞いたスザッキーは両手を組み、うんうんと納得したように首を縦に振る。
「立派だね、沙奈。それって社会貢献?」
「大げさに言えばね」
いろんな人に、何度もしてきた説明だった。しかし独立から半年して、久しぶりにこの初心を思い出したような気がしていた。
「でもそれなら、フェイスブックやアメブロの更新にばかり気を取られてちゃいけないよ」
「どうして? 集客は売り上げの第一歩よ?」
「出来てる? 集客」
核心を突いたスザッキーの言葉に、沙奈は答えることができない。さっきまでの穏やかな雰囲気とは違い、少し緊迫した空気になっていた。
「宣伝の前に、一番大事なステップを飛ばしてるんだよ、沙奈は」
「そんなの妖精のあなたに分かるの?」
思わず口調が刺々しくなる。なぜ、この妖精はそんな事が言えるのだろう。沙奈は強い視線でスザッキーを見る。しかしスザッキーは腕組みをとき、優しく諭すように語りかけてくる。
「言ったろ、沙奈。僕らは君の仕事のお手伝いをしに来たって。僕はフェアッキーみたいに料理をつくったりは出来ないけど、仕事のアドバイスなら出来る」
出来る、とスザッキーは言い切った。妖精のあなたに、何故? と沙奈は疑問に思うが、今は口にしない。
「でも、集客が第一よ。お客さんがいなきゃ、何も始まらないわ。私は講座さえ開ければ、必ず結果を出す自信はある」
沙奈の胸には、十年間マナー講師を務めた自信とプライドがあった。それを否定することは、世界中の誰にもできないと確信していた。
「そうだよ。沙奈には十年間、会社で培ったノウハウとスキルがある。それはさっき言ってた沙奈の夢を叶える、何よりの原動力になる」
いきなり褒められ、沙奈の気持ちは急に穏やかになっていく。
「ちょ、何、急に」
「それに地道で真面目。本でしっかり勉強して、実際にブログやフェイスブックを更新する行動力もある。新規の読者も少しずつ増えていってるみたいだし」
「なら、このまま続けていけば……」
「今日みたいに突然キャンセルされても。いつかは安定する?」
また沙奈には即答できない、厳しい質問だ。
「惜しいんだ、凄く惜しい。沙奈の経験と能力は十分なのにね」
ならどうすればいいの? と喉元まで出かかった言葉を飲み込む。スザッキーはどうやら単純な仕事のアドバイスをくれる訳ではないらしいことが、沙奈にも何となく分かってきていた。じっと耳を傾け、言葉の続きを待つ。
「でも大丈夫! 僕と一緒に正しい方法を試していけば、きっと沙奈の夢は叶えられる!」
そう断言され、沙奈はその方法を知りたい、と強く思った。この妖精が本当は何者で、どうして自分の元に来たのか、そんな疑問を吹き飛ばすほど、不思議な力強さがあった。
沙奈の真剣なまなざしをうけ、少し気分の良くなったスザッキーは両手を広げ、語りだす。
「おっと、僕に惚れないでくれ! 確かに僕は類を見ないほどのイケメン妖精、だけど人間と妖精の間の恋には、越えなきゃならない障害が」
「待って待って!」
思わず沙奈はスザッキーを止める。何だろう、なぜかこの妖精は一瞬で調子に乗ってしまった。沙奈がいぶかしんでスザッキーを見ていると、彼は心底意外そうな口調で言った。
「あれ? っかしいな~。昔はこれで色んな人間をとりこにしてきたんだけどね。例えば知ってる? 今を時めく有名な女社長の」
「何でここで昔はモテたアピールが来るのよ!」
沙奈は声を荒げてスザッキーの言葉を止める。
「途中まで真面目に聞いてたのに、もう……」
沙奈はさっきまで沸いていた感動も返してほしくなった。どっと疲れを感じる。
「あれ~?」
気まずそうに頭をかくスザッキー。そこへ扉が開き、焼きたての卵のいい香りがやってくる。
「出来たわ沙奈~。じゃがいもと玉ねぎのスペイン風オムレツよ~……、って何この雰囲気~?」
頭の上に大きなお皿を掲げたフェアッキーが、すぐに部屋の中のギクシャクした空気を感じ取った。しばらく三者はお互いを見つめ合う。
「や……、やった~オムレツ大好き!」
おどけてみせるスザッキーに、あんたのじゃないでしょ! と二人のツッコミが飛ぶ。それから久しぶりに、沙奈の部屋に笑い声が響いた。